Vol.94 ベルリンの壁から・・・・・ユーロ誕生!?
Vol.94 2021.5.31.
“1989年の出来事から・・・・” 第1弾では米ドルの広がりと共に世の中が豊かになり、その結果金・ゴールドが世界中に浸透していく過程をお話しました。
第2弾では東西ドイツを取り巻く、実際のヨーロッパの“現場”ではどの様に変わっていったか・・・・・様々な変化があった中で、ゴールドではなくマネーにスポットを当てて解説致します。
あくまで第1弾の続き、として記しています。
ご了承下さい。
第2弾
ベルリンの壁崩壊前、東ドイツは社会主義国家(共産主義国家)であり、西ドイツは資本主義国家でした。 当時の西ドイツ・コール首相は東ドイツとの統一を急ぎました。 一説にはアメリカの力も見え隠れしていたとか・・・・。
東ヨーロッパ諸国では民主化が浸透し、次々に資本主義を受入れます。
ソ連から独立する国家も出てくる中、分断されていた元々同じ国家、民族が一つになることに我々は違和感などありません。 むしろ社会主義国家として独立することを、西側は恐れたかも知れません。
それでもこの東西ドイツの統一は、各国が賛同していたわけではありません。
特に2度の大戦の記憶から、ドイツの強大化を一番懸念していた国は隣国・フランス。 西ヨーロッパの中心国として発言力も強い、他ならぬ当時の仏・ミッテラン大統領です。
東西ドイツの統一の為、西ドイツ・コール首相が取ったラスト・リゾートは・・・・・・欧州通貨統合です!
そうです!この時、ユーロ案を提案しました。
ドイツの自国通貨・マルクを捨ててまでヨーロッパ諸国に理解を求め、東西ドイツ統一を勝ち取ったコール首相・・・・・・ふと、どこかの大統領(漢字の国!?爆)とは大違いだな、思う次第です!?苦笑
そして出来上がった欧州共通通貨・ユーロ。 ヨーロッパ共同体は大きく変貌しました。
その通貨統合に奔走したフランス・財務次官ジャン・クロード・トルシェ氏は、第2代ECB総裁(EC中央銀行・総裁)に就任しました。
そして同じく奔走した西ドイツ・財務省ホルスト・ケーラー氏は、IMF理事を経て東西ドイツの大統領に就任しました。
1989年11月9日のベルリンの壁の崩壊は、東西世界を人やモノを融合しただけではなく、現在のヨーロッパのあり方さえも方向付けた出来事だったのです。